ゲシュタルトの祈り



私は私のことをし、あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待に添うようにこの世に生きているわけではない

そしてあなたも私の期待に添うように生きているわけでもない。

あなたはあなた、私は私。

もし何かの縁でお互いの要求が同じならそれは素晴らしい。

もしそうでなくてもそれは仕方がないことだ。

                           
                                    [F.S.Pearls]




これはF.S.パールズが自作した詩(祈り)で、「自分自身であれ」ということを言います。
人はそれぞれ顔や声が違うように意見や考え、目的や目標も違うものです。
行き違いやすれ違いがあるのはあたりまえのこと。
しかしそれでも他人の価値観を認めたうえで、自分の尊厳も尊重する。
そのあたりまえのことを心から理解することは難しいことですが、とても大切なことなのです。
この詩を何度も何度も繰り返し読んで見てください。「あなたはあなた、私は私」・・・。
自分勝手で冷たそうに聞こえますが実はとても大切なヒントなのです。
私は「それは仕方がない・・。」この一言にとてもこの詩の優しさを感じました。
皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか・・。
「自分らしく生きる」ということ。
もっとしっかりと考えてみたいですね。
その感情は誰のもの?


感情的になった時、ちょっと考えてみましょう。
例えば「怒り」
それが誰に対しての感情か?
その感情は誰が製造したものなのか?

たとえば気に入らない人がいて、
相手がとても苦手・・・。


自分の心に静かに聞いてみましょう。
相手に何を望んでいるのか 。

たいていの場合は
相手が自分の思い通りにならない不満から
自分が作り出した感情であることが多いように思います。
相手が自分の思うように動いてくれない。
それはあなたが相手を支配したい。
相手より優位にたちたい。
そんな競争心がどこかにあったりはしないでしょうか。
この人には絶対負けくない・・・。、
尊敬していない気持ちがどこかにないでしょうか?

こうあって欲しい・・。。
これは止めて欲しい・・。
でもあなたはそれを相手に伝えましたか?

言っても聞いてもらえない・・・。

あなたは自分の都合だけを相手に望んでいなかったでしょうか?
相手の人にもあなたと同じように言い分があるはずです。
あなたの存在が大切なように相手の存在も大切です。
あなたが家族や周りの人から愛されているように
相手も家族や周りの人から愛されるべき存在です。

あなたが怒りを感じた時、
それは相手に解決させる問題ではありません。
相手はあなたの気に入るように変えることは出来ません。
相手にも自分の人生を自由に生きる権利があるのです。

ではどうしたらいいのでしょうか?

あなたならどうしますか?

自分の希望や願いを素直な気持ちで伝えてみましょう。
どうせダメなんて決めつけて終らせていませんか。
本当にダメなら「ゲシュタルトの祈り」にあるように
あなたと私は違って当たり前、仕方がないと諦めましょう。

諦めるということは決して負けることではありません。
投げ出すことでもありません。
それが必要な時もあるのです。

でももし
あなたがほんの少し勇気を出せるのであれば
自分の気持ちを伝えてみましょう。
それは「自己主張」といって誰にも与えれている大切な権利です。

自己主張はする権利もあるし、しない自由もあります。
どちらを選ぶかはあなたの問題です。



そこで自己主張について・・・・。

それはアサーションという権利です。
このことについてはアサーションのページで紹介しますので
参考にしてください。