悲しい習慣  〜自分の感情を隠す〜
本当は困っていたり、ツライ場面なのに相手に
変な気を遣ってしまって、フッと微笑んでしまう。
悲しいけど悲しいと言えない。怒っているのに
「何でもないよ」と言ってしまう・・・・。
ポーカーフェイスと言うとクールで格好はいいですが、
どんなことがあっても表情を変えない人がいます。
それは、本当に素敵なことなのでしょうか。
何にも動じない広い心を持っているというのなら別ですが、
心のためにはあまり感心できることではありません。

私も心理学を勉強するまでは全く気がつきませんでした。
無表情どころか、人の顔色をみることばかり気にしていたように思います。
自分の不快さを顔に出すことはいけないことでしょうか。
悲しいことを言われても、困った場面に直面しても
不愉快な思いをさせられても、
「いいのよ、私は全然気にしていないわ。」などとニコニコしてしまう。
本当は心をグサリと刺されて痛いのに
何でもないフリを装って、平然としてしまう。
本来自分の味わうべき感情は何処へ押しやられてしまったのでしょう。

「良い人」と言われたい。
「感じの良い人」と思われたい。

何のために良い人を演じているのでしょう。
誰に誉めてもらいたいのでしょう。
「あなたは優しい子ね。」「あなたは良い子ね」・・・って。
良い子であるとどんなメリットがあるのでしょう。
誰からも好かれなければいけないなんて、
いつからそんなことを思い込んでしまったのでしょう。
そうすれば本当に誰からも愛され、受け入れられるのでしょうか?
自分の大切な感情を無かったことにしてまで、
守らなければいけないものって何なのでしょう。
「習慣だから・・・。」
「別に・・。」
「私のクセなのです。」

何でもないことのように軽く考えてしまいがちですが、
実はこれは心のためにはちょっと問題なのです。
カメレオンのように会う人、会う人にあわせて色を変えていると
本当の自分がいったい何色なのかわからなくなってしまいます。
自分の本当の姿がわからないというのはどうでしょう。
それはまるで仮面をたくさん身につけ、決して服を脱ぐことのない、
完全武装した人のようですね。
自分というものがどんどんなくなっていってしまいます。
自分の気持ち。自分の心をもっと大切にしてあげましょう。

もし困ったときや悲しい時に、フッと微笑んでしまったり、
意味もなく人に気を遣って愛想笑いを浮かべている自分に気付いたら。
ちょっと振り返って考えてみましょう。
それはきっと不機嫌な顔をしたりすると親にとがめられたり、
親に心配をかけないようにと、
いつの間まにか身に着けてしまった悲しい習慣です。

笑うという行為は楽しい時や嬉しい時、おかしい時の表現方法ですよね。
いま私は何がおかしかったのでしょうか?
そこは笑うところだったのですか?
私が今味わった感情は本当はどんなものだったのでしょう。
私はその感情をどこに隠してしまったのでしょう。